スワローズファンにとっての「傘」とはなだろうか。
応援は一種の「宗教」である。
▼皿▼今日は赤傘デーですよ。
これまでの意見は下記に載せております。
さて、ではそもそもスワローズファンにとっての「傘」とはどのような意味を持つのだろうかという話を。
そもそも応援というのは人に「祈り」を送る行為であり、それはある意味「宗教的な儀式」でもあると思うのですよ。「かっとばせ!」という言霊で選手の「勇気」を引き出す。
前の記事に書いたとおり、スワローズの場合は応援に岡田団長というひとつの"神話"ができてしまった。この"神話"が言わば経典、聖書であり、岡田団長は応援という"祈り"を作った「神」。団長が亡くなっている現状ではその色はまた濃くなっていると感じてます。
岡田団長が「神」なら「傘」は神具。「十字架」になるんじゃないかと。スワローズの「象徴」であるものと多くの人が感じている品。
ただその十字架だってカトリックは磔のイエスがいるものなのに対しプロテスタントは十字架のみだったり考え方にも差異が起こります。中には「十字架なんか必要ねーよ」という宗派があるかもしれんしね。この辺りは今回の件に関する「スワローズファンの反応の差異」と近いものがあるんじゃないかと感じてますよ。当たり前だけど人それぞれ考え方、スタンスに違いは出てくるものですからねぇ。
ただ、もちろん赤傘に対して「これくらいのことで怒るのなんて理解できない」という声もあります。さらに怒りも理解した上でそれでも赤傘を許容するヤクルトファンもいるます。今回の件に関する問題の解決はその「理解」なんじゃないかと。
別にお互いに「納得」しなくてもいいのです。「理解」する事でスワローズが好きな人同士の無用な争いは避けられるんじゃないかと思うのですよ。考え方の差異を認めることは必要なのかなと。
相手は首位でノリノリのカープ。簡単には勝てない。今日の試合で残酷な結末が待っているかもしれない。それでも心を折られないように。選手のチカラを後押しできるような「祈り」を捧げたいものです。